美しい自然と豊かな伝統文化が
交差する特別な場所

石垣島 川平かびら地区
KABIRA on ISHIGAKI ISLANDS

ため息が出るほど美しいエメラルドグリーンの海が広がる川平は、石垣島の北西部に位置し、島を代表する景勝地です。石垣島を訪れたことがある方なら、川平湾に足を運んだことがある方も多いでしょう。川平は美しい海ばかりが注目されがちですが、実は古くからの歴史や文化が息づく地域でもあります。

結願祭についてAbout KITSUGANSAI

結願祭 結願祭

結願祭きつぃがんさいとは?

結願祭は、五穀豊穣、子孫繁栄、無病息災など様々な願いを一つにまとめた“願解き”の儀礼です。
この祭事では、古くから伝わる多彩な芸能が奉納されます。八重山の各地で毎年、または何年かごとに行われ、川平では毎年行われる三大祭りの一つとされています。
結願祭は、祈願が叶ったことへのお礼参りの意味も含んでいます。農作物の収穫が無事に終わったことへの感謝と、来期の豊作、住民の健康と幸せを祈願するお祭りです。
神司が御嶽に籠って祈願する夜籠りを経て、群星御嶽んにぶしおん境内での総踊り、太鼓、棒術、獅子舞、舞踊、狂言といった多彩な演目が続きます。
川平の太鼓は約350年前、棒術は約550年前、獅子舞は約500年前から伝えられています。
特に棒術は、当時自己流で棒術・剣術の技を磨いた「仲間満慶山なかまみつけいま」から村の若者たちが技を学び始めたと伝えられています。

仲間満慶山についてAbout NAKAMAMITSUKEIMA

仲間満慶山 仲間満慶山

仲間満慶山なかまみつけいまって?

八重山が群雄割拠していた15世紀末に、島北西部の川平を治めた豪族。
名乗りを仲間満慶山英極といい、小さい頃から弓矢剣道の名士とされ、成人になってからは川平村の指導者となりました。
当時の八重山の出来事といえば、大浜村の遠弥計赤蜂が琉球王府に対して起こした反乱「遠弥計赤蜂おやけあかはちの乱」が代表としてあげられます。
同時期の豪傑であった満慶山も赤蜂あかはちの挙兵を求められましたが、琉球王府の強大さや島民を戦いに巻き込むことを懸念し、その要請を断ちました。
その会談の後、帰途に着いた仲間満慶山は名蔵湾なぐらわんのケーラ崎で遠弥計赤蜂のだまし討ちにより命を落としました。
年齢は三十二、三だったと言われています。
川平村では、今も彼が伝承したと言われる棒術が残っていたり、島内には「終焉の地」「生誕の地」など仲間満慶山にまつわる記念碑が存在します。
彼の死後もその勇気や忠誠心、深謀遠慮の志は語り継がれ、村の歴史に深く刻まれています。

結願祭×仲間満慶山の歴史探訪ツアー

年に一度の「結願祭×仲間満慶山の歴史探訪ツアー」がセットになった特別ツアー

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仲間満慶山の歴史探訪ツアー

石垣島川平の英雄

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フォトギャラリーPhoto gallery

開始前演者全員での御願

開始前演者全員での御願

ミルク行列総踊り

ミルク行列総踊り

棒術本舞(先頭棒 刀棒:仲間満慶山が伝承したと言われている)

棒術本舞(先頭棒 刀棒:仲間満慶山が伝承したと言われている)

獅子舞本舞

獅子舞本舞

棒術本舞(三人棒)

棒術本舞(三人棒)

舞台芸能奉納 かしかき

舞台芸能奉納 かしかき

舞台芸能奉納 川平鶴亀

舞台芸能奉納 川平鶴亀かびらつぃるかみ

ケーラ崎、仲間満慶山 終焉の碑

ケーラ崎、仲間満慶山 終焉の碑

群星御嶽付近

群星御嶽付近

結願祭開催の群星御嶽

結願祭開催の群星御嶽

仲間満慶山の墓

仲間満慶山の墓

仲間満慶山 生誕の碑(川平湾付近)

仲間満慶山 生誕の碑(川平湾付近)

底地ビーチ

底地すくじビーチ

アクセスAccess

【ツアー集合場所】

石垣港離島ターミナル

〒907-0012 石垣市美崎町1番地